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物心ついたころから、アルゼンチンは、「遠くて近い国」でした。二人の義理の叔父が、1913年(大正2年)からアルゼンチンで事業をしており、大勢の従兄妹たちも住んでいたからです。終戦直後の物のなかった時代、食料品や衣類をたくさん送ってもらいました。それは、天国からの贈り物のようでした。アルゼンチンってすばらしい国と、子供心に植えつけられたのです。

アルゼンチンで貿易事業を始めたころの叔父たち
(1917年、ブエノスアイレス・パレルモ公園にて)
しかしそのころは、アルゼンチンに行くというのは、夢のまた夢でした。祖父も、父も、娘や妹の住む国を訪ねたかったに違いなかったと思います。しかし戦争もあって、その夢は夢のまま、他界してしまいました。
戦後の驚異的な経済成長のお蔭で、それが夢でなくなる時代になりました。「お互いに元気なうちに、ぜひ一度いらっしゃいよ」と、従姉がEメールで再三言ってきました。インターネットのお蔭で、地球の反対側とも、細かい情報のやり取りが簡単にできます。そしてその夢を実現する計画が始まりました。
アルゼンチンは日本のどちらの方角にあるか? 平面の地図を見ていては正確な答えは解りません。地球儀で、大阪とブエノスアイレスの所を押さえてみると、ちょうど正反対の位置にあることが解ります。答えは、東でもあり、西でもあり、南北いずれでもあります。時差はちょうど12時間、四季はまったく逆。北極よりも、南極よりも遠く、地球上で一番遠い国、それがアルゼンチンなのです。
ですから、インターネットで、アルゼンチンまでのフライトを検索してみますと、数十ものルートが出てきます。大きく分けて、北米廻り、ヨーロッパ廻り、オセアニア廻り、アフリカ廻りと、4大陸いずれを経由しても行けます。同行する弟の日程の関係で、その中からもっとも早く行ける、北米のダラス、マイアミ経由のアメリカン航空を選びました。同行するのは、妻と二人の弟、それに従弟が一人。こうして、2001年3月17日、一行5人で、関西国際空港から飛び立つことになりました。
ところが空港に着いてみますと、定刻18:55発のAA158便は、出発が2時間余り遅れるとのこと。そのため、ダラスでの乗換え便に間に合わなくなり、ルート変更のためずいぶん待たされましたが、結局ダラスからはサンパウロ経由の便に変更になりました。サンパウロからは、TAMという、窓口の職員も知らなかったブラジルの航空会社の便です。
出鼻をくじかれた感じになりましたが、当初の予定より約4時間遅れて、翌18日の14時15分(日本時間は19日2時15分)、ブエノスアイレスのエセイサ国際空港に無事着陸しました。関空を離陸してから29時間余り、地球を半周する、マイレージ稼ぎの旅でした。さすがに遠い。
空港には、大勢の従兄妹たちが迎えに来てくれていました。そして早速その日の夜開かれた、一世から四世までの親戚34人による大歓迎パーティで、11日間にわたる私たちのアルゼンチンの旅は始まったのです。